GrASP ism

『できないのではなく、やり方が変わった』〜誰かと一緒ならできることがある~ ー後編 ー

tsumugi

弊社のサービスのケア・支援についてお伝えしたいと思います。
パート☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、です!

こちら☝の数が増えるだけ、GRASPismを発信したというシンボルにしたいと思いますので、お付き合いの程お願いいたします(笑)

2026年3回目のシリーズは、「できないのではなく、やり方が変わった」についてです。

認知症によって、これまでと同じ方法では難しくなることがあります。
しかし、それは能力や意欲のすべてが失われたということなのでしょうか。

時間をかける。手順を変える。道具を使う。安心できる人と一緒に行う。
本人の力が発揮される条件を整えることで、今もできることが見つかるかもしれません。

このシリーズでは、「できる・できない」という結果だけではなく、その人が力を発揮できる方法や環境について考えていきます。それでは、第5回をお楽しみください。

支えることと、代わりに行うことは違う

本人が困っている。作業が止まっている。
そんな姿を見ると、「こうするんですよ」と教えたり、途中から代わりに行ったりしたくなります。もちろん、本人を困らせたくないという思いからです。

でも、支援者が全部やってしまった瞬間、本人が自分でできたかもしれない部分まで見えなくなってしまいます。

「一緒に行う」と「代わりに行う」は、似ているようで違います。

■ 全部を手伝う必要はない

例えば、お茶を入れる。コップを準備する。お茶を用意する。お湯を入れる。運ぶ。

もし、お湯を扱うところだけが難しいのであれば、そこだけを支える。

コップの準備や、お茶を入れることまで支援者が行う必要はないかもしれません。

できない部分を支えることで、できる部分を本人に残す。

これが「一緒に行う支援」の一つの形です。

■ 0か100かではなく、その間を見る

支援では、「一人でできる」か、「介助が必要」か。

二つに分けてしまいがちです。

でも、その間にはたくさんの「できる」があります。

見守っていればできる。最初の一言があればできる。見本があればできる。途中だけ手伝えばできる。

一緒に確認すればできる。「一人で全部できない」ことと、「全部やってもらう必要がある」ことは同じではありません。その間にある“できる”を見つけること。それが大切なのだと思います。

■ 「してあげる」は、優しさから始まっている

支援者が先回りするのは、困らせたくない。失敗させたくない。安全に過ごしてほしい。
そんな優しさからだと思います。
だからこそ難しい。

でも、その優しさによって、本人の「やってみる」や、「自分でできた」を奪っていないか。
ときどき振り返る必要があります。

手を出す優しさもあれば、手を出さずに待つ優しさもある。

どちらも支援なのだと思います。

■ 「一緒にやる」の主役は誰なのか

支援者が準備して、支援者が進めて、本人には最後だけ参加してもらう。
それでも「一緒にやった」と言えるかもしれません。

でも、大切なのは、本人が、
「自分がやっている」「自分の役割がある」と感じられているかどうか。
支援者が中心になって本人を参加させるのではなく、本人の活動に、支援者が必要なところだけ参加する。

この違いは、とても大きいように思います。

■ 最後に

一人では難しい。だから、誰かと一緒に行う。

でも、全部やってあげる必要はありません。本人ができるところは本人に任せる。難しいところだけ支える。
困ったときには手を差し伸べる。そして、また本人に返していく。

そもそも私たちも、誰かに教えてもらい、助けてもらい、役割を分けながら生活しています。
誰かの力を借りながらできることも、立派な「できる」です。

だから支援者は、「何をしてあげるか」ではなく、「どこを支えれば、この人自身ができるのか」
を考える。

「一緒にやりましょう」その言葉の中には、あなたの代わりにやります、ではなく、あなたができるように隣で支えます。

そんな意味があってもいいのではないでしょうか。


誰かと一緒なら、できることがある。支えることと、代わりに行うことは違う。こんな考え方が他にもあります、現在活用中です、最新のデータから読み解くとこうなります。等、みなさまからの情報がありましたら教えてもらえるとうれしいです(^^♪

記事URLをコピーしました