『できないのではなく、やり方が変わった』〜できなくなったのではなく、〝時間が必要になった〟~
弊社のサービスのケア・支援についてお伝えしたいと思います。
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こちら☝の数が増えるだけ、GRASPismを発信したというシンボルにしたいと思いますので、お付き合いの程お願いいたします(笑)
2026年3回目のシリーズは、「できないのではなく、やり方が変わった」についてです。
認知症によって、これまでと同じ方法では難しくなることがあります。
しかし、それは能力や意欲のすべてが失われたということなのでしょうか。
時間をかける。手順を変える。道具を使う。安心できる人と一緒に行う。
本人の力が発揮される条件を整えることで、今もできることが見つかるかもしれません。
このシリーズでは、「できる・できない」という結果だけではなく、その人が力を発揮できる方法や環境について考えていきます。それでは、第2回をお楽しみください。
できなくなったのではなく、“時間が必要になった”


「〇〇についてはどう思いますか?」
問いかけても、すぐに返事が返ってこない。
お願いしたことに、なかなか取りかからない。
言葉を探しているようだけれど、うまく出てこない。
その姿を見ていると、「もう理解できないのかもしれない」
「自分ではできなくなったのかもしれない」
そう感じることがあります。
そして、困っているように見える本人に代わって、答えを伝えたり、作業を始めたりする。
でも、本当にできなかったのでしょうか。もしかすると、できなくなったのではなく、考え、言葉にし、動き始めるまでに時間が必要になっただけなのかもしれません。
■ 私たちにも、すぐに答えられないことがある


例えば、突然こんなことを聞かれたとします。「あなたが一番大切にしていることは何ですか」
質問の意味は分かる。答えたい気持ちもある。でも、すぐには言葉にならない。
頭の中でいくつかの考えが浮かび、その中から伝えたいことを選び、言葉にしようとする。
その間、少し沈黙が生まれます。
そんなときに、「分からないんですね」「では、こちらで決めますね」と言われたら、どう感じるでしょうか。
考えていたのに。答えようとしていたのに。もう少しだけ待ってほしかった。そう感じるのではないでしょうか。
■ 返事がないことと、考えていないことは同じではない


私たちは、問いかけたあとに返事がないと、不安になります。聞こえていなかったのか。意味が分からなかったのか。答えられないのか。その沈黙を埋めるように、もう一度質問したり、別の言葉で説明したりします。
「今日は何をしたいですか」返事がない。
「散歩にしますか」まだ返事がない。
「それとも買い物にしますか」さらに選択肢を重ねていく。
支援者は、分かりやすくしようとしているのかもしれません。しかし本人の中では、最初の質問について、まだ考えている途中かもしれません。
そこへ新しい言葉が次々と入ってくると、考えていたことが途切れ、何を聞かれていたのか分からなくなってしまうことがあります。
返事がないことと、考えていないことは同じではないのです。
■ 認知症では、答えにたどり着くまでに時間が必要になる

何かを尋ねられたとき、私たちの頭の中では、
・相手の言葉を聞く
・質問の意味を理解する
・記憶の中から答えを探す
・考えを整理する
・言葉を選ぶ
・実際に声に出す
といった、いくつもの働きが動いています。
認知症では、こうした情報を受け取り、整理し、答えとして表すまでに、以前より時間がかかることがあります。
質問は理解している。答えも心の中にある。でも、そこにたどり着くまでに少し時間が必要になる。
その途中で次の質問を重ねられたり、代わりに答えを出されたりすると、本人の考えは表に出ないまま終わってしまいます。
■ 動き始めるまでにも、時間がかかることがある


時間が必要なのは、言葉だけではありません。
例えば、「上着を着ましょう」と声をかけたとします。本人は返事をしている。
でも、なかなか動き始めない。その姿を見ると、「着方が分からないのかな」
と思い、支援者が上着を持ち、袖を通すところまで手伝ってしまうことがあります。
しかし本人の中では、上着はどこにあるのか。どちらが前なのか。どこから手を入れるのか。
今は何のために着るのか。そうしたことを一つずつ確認していたのかもしれません。
少し待ってみると、自分で上着に手を伸ばし、ゆっくりと着始めることがあります。
動いていない時間は、何もしていない時間ではありません。動き出すための準備をしている時間なのかもしれないのです。
■ 支援者にとっての「少し」が、本人には大切な時間
支援の現場には、時間があります。
送迎の時間。食事の時間。次の活動が始まる時間。他の人への支援もあります。
そのため、本人の反応を待つ数十秒が、とても長く感じられることがあります。
「こちらでやった方が早い」そう思うのは、決して悪意からではありません。
全体を円滑に進めたい。本人を困らせたくない。失敗させたくない。
そんな思いがあるからこそ、先回りしてしまいます。
でも、支援者にとっての数十秒が、本人にとっては、自分で考え、自分で決め、自分で行動するための大切な時間であることがあります。
その時間を奪うことは、本人が持っている力を発揮する機会を奪うことにもつながります。
■ 先回りするほど、「できない人」に見えてしまう
本人が考える前に答える。動き出す前に手を出す。言葉が出る前に代弁する。
支援者が先回りすると、その場は早く進みます。
しかし、それが繰り返されると、本人がどこまで理解していたのか、何を考えていたのか、どこまで自分でできたのかが見えなくなっていきます。
そして、「やはり自分ではできない」という評価だけが残ってしまう。
実際にはできなかったのではなく、できるまで待ってもらえなかっただけかもしれません。
支援する側が急ぐほど、本人の力は見えにくくなってしまうのです。
■ 待つことは、何もしないことではない
「待つ」と聞くと、ただ黙って見ていることのように感じるかもしれません。
でも、支援における「待つ」は、何もしないことではありません。
本人の表情を見る。視線の先を見る。どこで迷っているのかを考える。必要であれば、短い言葉で一つだけ伝える。
手を出しすぎず、それでも不安にならない距離にいる。
待つことは、本人にすべてを任せて放っておくことではありません。
本人が力を発揮できる瞬間を見逃さないように、そばで丁寧に見守ることです。
つまり「待つ」とは、とても積極的な支援なのです。
■ どれくらい待てばよいのか
ただ長く待てばよいというわけではありません。
本人が困っているのに、支援せずに見続けることは、「待つ」ではなく、本人を不安にさせてしまうことがあります。
大切なのは、本人の様子を見ながら、
・考えている途中なのか
・言葉を探しているのか
・何をすればよいか分からず困っているのか
・不安が強くなっているのか
を見極めることです。
考えている様子であれば、もう少し待つ。困っている様子であれば、最初の一歩だけを伝える。言葉が出にくそうであれば、急かさず、選びやすい形に変える。本人に必要なのは、何分、何秒という決まった待ち時間ではありません。その人のペースに合わせてもらえる安心感なのだと思います。
■ 最後に
考えるまでに時間がかかる。言葉が出るまでに時間がかかる。動き始めるまでに時間がかかる。
その姿を見て、私たちは「できなくなった」と判断してしまうことがあります。
でも、本人の中では、理解しようとしている。思い出そうとしている。言葉にしようとしている。
動き始めようとしている。ただ、その過程に以前より少し時間が必要になっているだけかもしれません。
だからこそ、すぐに答えを出さない。すぐに手を出さない。すぐに「できない」と決めない。
少しだけ待ってみる。その時間の中で、これまで見えなかった本人の力が表れることがあります。
待つことは、本人の力を信じること。
そして、本人が自分の力で人生に参加するための、大切な支援なのではないでしょうか。
できなくなったのではなく、“時間が必要になった”。こんな考え方が他にもあります、現在活用中です、最新のデータから読み解くとこうなります。等、みなさまからの情報がありましたら教えてもらえるとうれしいです(^^♪
