GrASP ism

『〝気づく〟ことは「正解」にたどりつくことではない』

tsumugi

弊社のサービスのケア・支援についてお伝えしたいと思います。
パート☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝、☝☝☝です!

こちら☝の数が増えるだけ、GRASPismを発信したというシンボルにしたいと思いますので、お付き合いの程お願いいたします(笑)

前回からは、原点回帰を大切に「若年性認知症」について新たに考え、これまでとは異なる視点で解説していますが・・・・・今回はこちらです。

〝気づく〟ことは、「正解」にたどり着くことではない

【5】“気づく”ことは、「正解」にたどり着くことではない

本当に必要なのは、正確な診断よりも、“その人のつまづき”に誰かが関心を持ち続けること

《正確な診断のその先に〝人のあたたかさが全ての原点〟》

※ここで紹介している9つのストーリーは、作成者・山崎がこれまで出会ってきた多くの方々の経験や思いをもとに描いたフィクションです。ひとつひとつに、実際にあった出来事や想いのかけらがこめられています。

◆ 職場での“気づき”がくれたきっかけ ― 声がけが安心を生む ―

  1. ベテラン社員が毎朝のルーティンを忘れがちになっていたが、誰も指摘できずにいた

▸ ある日、後輩が「最近朝の準備、手伝いましょうか?」と申し出たところ、「ちょっと調子が狂ってて助かる」と素直に返してくれた。
・「“できて当たり前”と思われてたから、声かけてもらえて救われた」

  1. 職場の頼れる事務員が、計算ミスや伝票の抜けを繰り返すように

▸ 上司が「最近少ししんどい?ミスが増えてるけど無理してない?」と声をかけた。本人は涙ぐみながら「自分でも困ってる」と話し始めた。
 ・「“責められなかった”ことで、やっと相談できた」

  1. 経験豊富な営業スタッフが、同じクライアントの情報を何度も確認するように

▸ 同期が「オレも最近忘れっぽくてさ」と自分を引き合いに出して話したことで、少しずつ本人が「なんか変なんだよね」と言葉をこぼし始めた。
 ・「あの一言で、“独りじゃない”って感じられた」

◆ 友人との関係の中での“気づき” ― 優しさが背中を押す ―

  1. 久しぶりに会った友人が同じ話を何度もするのを笑って流していた

▸後日、手紙で「もしかして最近少し不安なことがある?」と書いた。友人から「実は気づいてもらえてほっとした」と返事が来た。
 ・「あの手紙が、“知らないふりされなかった”っていう救いだった」

  1. LINEの返事が急に遅くなった親友にモヤモヤを感じていた

▸ 「どうしたの?返事ゆっくりで大丈夫だからね」と伝えると、「ごめん、最近ちょっと調子悪くて」と返信が。やりとりが少しずつ戻ってきた。
 ・「無理に責められなかったことが、ありがたかった」

  1. 旅行の計画中、以前は仕切ってくれた友人が混乱していた

▸ 「私が手伝うよ、一緒にゆっくり決めよう」と伝えると、少し表情が和らいだ。
  ・「“置いていかれないんだ”って思えて安心した」

◆ 家族のまなざしの中の“気づき” ― 共に歩むきっかけに ―

  1. 夫の物忘れに気づいていた妻が、遠慮して言えなかった

▸ ある日「最近、ちょっと気になることがあるの」と、自分の不安として話した。夫は最初驚いたが、「そう思ってたの、実は俺も」と返した。
 ・「一緒に考えようって言ってもらえて、救われた」

  1. 娘が母の料理の味付けの変化に気づいたが、指摘を避けていた

▸さりげなく「最近味の感じ方変わった?」と聞くと、母は「もしかしたらそうかも」と笑った。
・「責められてないってわかると、話せる気がする」

  1. 息子が父の言葉の選び方に違和感を持ちつつ、からかってごまかしていた

▸「最近ちょっと変じゃない?」と冗談っぽく聞いたら、「自分でも思ってた」と父が話し出した。
・「なんだ、話してよかったんだって思えた」

◆ 当事者同士の“気づき” ― 似た誰かが、力になる ―

  1. 本人の集いの場で出会った同世代の二人。どちらも最初は「自分は大丈夫」と思っていた

▸ 雑談の中で「最近うまく言葉が出てこなくてさ」と一人がつぶやいた瞬間、もう一人も「わかる、それ、自分もある」とうなずいた。
 ・「“わかる”って言葉が、こんなにあったかいものだとは思わなかった」

  • 「最近ちょっと変わったね」と、声をかける勇気
  • 本人の「うまくいかない」に、意味を与えず寄り添うまなざし
  • 「病名」ではなく、「日々の不安定さ」に目を向ける関係

診断は、あくまでひとつの情報。
支援の出発点になるのは、「誰かが、あなたの違和感に気づいてくれた」ことなのかもしれません。

まとめ

「気づく」とは、“疾患”の兆候に目をこらすことではなく、

その人が紡いできた〝暮らしという物語〟のズレに、敬意をもって寄り添うこと。

そしてそれは、医療や制度のプロセスだけではなく、
『家族・友人・同僚・地域・支援者、それぞれの環境でできる〝安心の笑いぃ顔がこぼれる〟瞬間の積み重ね』によって、自分を少しずつ取り戻しながら、新たな私を確立する歩みになるのだと考えます。

家族・友人・同僚・地域・支援者、それぞれの環境でできる〝安心の笑いぃ顔がこぼれる〟瞬間の積み重ねによって、その人らしさを少しずつ取り戻していく歩みになるのだと思います。

〝気づく〟ことは、「正解」にたどり着くことではない」について、こんな考え方が他にもあります、現在活用中です、最新のデータから読み解くとこうなります。等、みなさまからの情報がありましたら教えてもらえるとうれしいです(^^♪

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