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『家族の本音・想い』〜「話さなくても、そこにいて良かったと思えた場所」~

tsumugi

弊社のサービスのケア・支援についてお伝えしたいと思います。
パート☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝☝☝☝☝☝☝☝、☝☝☝です!

こちら☝の数が増えるだけ、GRASPismを発信したというシンボルにしたいと思いますので、お付き合いの程お願いいたします(笑)

2026年最初のシリーズは「ご家族の本音・想い」についてです。支援といっても私たちにできることはほとんどありません。ただこれまでの10年と200名を超えるご本人の声を伺ってきた経験を、そっとご案内することしか…

今回からは、『抱え込みの構造をほどく』内容をお伝えします。それでは、第11回目お楽しみください。

※こちらの内容は、これまでのGRASPの経験から描いたフィクションです。ですが、確からしさを詰めてお届けします。

話さなくても、そこにいてよかったと思えた場所

何も話していないのに、
今日の帰り道は、少しだけ呼吸がしやすくなっていた。
なんかスッキリした、孤独感が和らいだ
そんな経験がありました。

■ 何も話さなかった安心感

その日は、最初から「話そう」とは思っていませんでした。
何を話せばいいのか分からない。
うまく言葉にできる気もしない。
ただ、少し疲れていて、どこかに行きたかった。
でも、誰かとちゃんと話す気力はなかった。
だから、「行くだけ行ってみよう」
そのくらいの気持ちでした。

結果的に、最後まで何も話しませんでした。
でも、なぜか少し楽になっていた。

■ 〝参加だけした〟あの日のこと

若年性認知症の妻を支える、50代の男性。
知人に勧められて、家族会に参加しました。
最初は、正直気が進まなかったそうです。

「何を話せばいいのか分からない」
「うまく話せる人ばかりだったらどうしよう」

会場に入ると、すでに何人かが話していました。
介護のこと、仕事のこと、家族との関係のこと。
どれも、どこかで聞いたことのあるような話。
彼は、輪の少し外側に座って、ただ聞いていました。
話を振られることもあったけれど、「今日は聞くだけで」と答えました。
誰も無理に聞こうとはしなかった。

時間が過ぎて、会が終わって、帰るとき。
彼はこう思ったそうです。

「…来てよかったな」何も話していないのに。

別のケースでも、同じような声があります。

・ただ座っていただけ
・誰かの話を聞いていただけ
・自分のことはほとんど話していない

それでも、「一人じゃない気がした」「自分だけじゃなかった」「ここにいていいと思えた」
そんな感覚が残った。

■ なぜ、話さなくても意味があるのか

多くの人は、「参加=何か話すこと」だと思っています。
でも実際には、そうではありません。

人は、〝言葉だけで支えられるわけではない〟
同じような経験をしている人が、同じ空間にいる。
それだけで、自分の中にあった感情に、少しだけ名前がつくことがあります。

「これ、私だけじゃなかったんだ」

その気づきが、心を少し軽くする。

■ 参加=発言ではない

家族会は、話す人のための場所ではありません。

・話せる人もいる
・話せない人もいる
・整理できている人もいる
・まだ何も言葉にならない人もいる

そのすべてが、同じ場所にいていい。
参加することは、発言することではありません。
そこにいること。同じ空間を共有すること。
それだけで、十分に意味があります。

■ 最後に

もし、「話すのはちょっと無理だな」と思っているなら、
無理に話さなくて大丈夫です。
何も出さなくてもいい。整理できていなくてもいい。
ただ、そこにいるだけでいい。
それでも、人は少しだけ軽くなります。

話さなくても、そこにいてよかったと思えた場所」。こんな考え方が他にもあります、現在活用中です、最新のデータから読み解くとこうなります。等、みなさまからの情報がありましたら教えてもらえるとうれしいです(^^♪

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